塾長の金沢君とは埼玉大学在学中から現在に至るまでの長くて深いつき合いである。
定年退官までの約四十年の在職中には、1千5百名を超える卒業生を教育界、学術界へ送り出したが、在学中の彼の存在感は圧倒的な印象があった。
勉強好きの事は人一倍で、特に独力で自発的な努力を重ねてきたことは、数多くの免許や資格として結実している。
しかしながら、注目すべきは、彼は在学中は一切の免許や資格の取得を拒否して、専ら専門の学問に没頭していたことである。
ここは最近の要領のいい学生とは大きく異なるところである。
また、心理学クラスの後輩たちに得意の統計学や語学などの指導をして、敬愛されていたことも事実である。しかし、堅い一方の人物ではなく、学友たちに呼びかけてサークルを組織したり、コンパや旅行を実施するなどのリーダーシップを発揮していた。
彼が率直に公立学校に奉職していれば、そろそろ管理職に就く頃であろう。ところが、エネルギーの有り余っている彼は敢えて茨の道を選択した。つまり、看護・保健系を志望する生徒を対象とした予備校に加えて、医歯薬獣医系を志望する浪人生を対象とした予備校まで設立してしまったのである。
彼の真摯な人柄と止むことのない学問への情熱により、【防衛予備校】が堅実なものとなっていることを確信する。
※長塚先生は平成25年4月に永眠されました。